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葬式を終えて35歳の私は布団を被って死別の寂しさを乗り越えた

突然の母との死別に向き合った日。

最期の日に母は生命の光をまとい輝いていた。


父が亡くなったのは私が28歳の時で母が亡くなったのは私が35歳の時でした。今回は母が亡くなった時と葬式を終えた後のことを書き記します。私の経験があなたの役に立つと信じていますよ。

ひとりぼっちになって考えたこと、ひとり暮らし一日目は葬式が終わった日の晩だったのです。

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今50代の半ばになりもう20年も経つと思うと非常に早く充実した20年だったと思います。ひとりで懸命に生きて、ひとりで暮らしさまざまな経験をしました。

でも母が亡くなった日のことは昨日のように思い出されます。父が亡くなった時よりも母との別れの方が、遥かに辛かったと感じています。

辛い別れと寂しいひとり暮らしが一気に押し寄せて来たことが影響していると感じています。三人が二人になるのと二人がひとりになるのでは、まったく意味が違うのです。そして何処かに戻れば家族がいる訳ではありません。私は家族をなくしました。

私の母は日曜日の夕方に倒れて次の日の朝10時30分に亡くなりました。死因はくも膜下出血です。何気ない日常を二人で過ごしていた瞬間に別れが訪れたのです。

せめて別れ際にひとこと欲しかったとも思います。でも最期の日となった日曜日は私が母と暮らした人生で一番美しい思い出の一日でもあります。母の命が数時間後に終わると言う事実は知らないのに何故か不思議な体験をしました。

ひとの体にはやはり魂があるのだと思えた

今も思い出すと不思議で一体あれは何だったのか?と感じる出来事がありました。それは決してオカルト的なものではなく生命のきらめきのような輝きが見えたのです。

母の顔を中心にきらめくような光が湧き出し発散する水蒸気のように天にのぼっていくキラキラした光が見えました。キラキラした光はまるで雪がきらめくスターダストのようでした。

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何故かその光はとても愛おしく手にさわってみたい衝動にかられました。その時感じた気持ちは、今日の母の顔はなんて可愛く穏やかで輝いているのだろうと感じたほどです。

いつものようにテーブルを挟み向かい合い二人で過ごした日曜日でした。お天気は少し曇ってはいましたが明るい陽射しが入り込むキッチンの板の間での出来事です。

お菓子を食べたり、たわいない話しをしたり今思うと素敵な一日だったと記憶しています。私はちょうど母が欲しがっていたベストを編んでいました。

前身頃と後ろ身頃が出来上がり後は袖をつけるだけでした。身頃ができあがったので母に着せてみることにしました。

サイズも丁度良いしぴったりでした。その時の母の喜ぶ顔は私の大切な宝ものになりました。

今思うと最期の別れまで数時間しか無く母の生命のカウントダウンは始まっていました。最期に喜ぶ顔が見られたことは本当に良かったと思っています。

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嬉しそうな顔が美しい輝きに包まれた様子は今も目に浮かびます。あの光はなんだったのか?生命の光だったのか?徐々に魂が昇天していたのか?未だに良くわからない不思議な体験でした。

別れ際まで私のことを心配していた母

母が倒れる15分ほど前に家に来客があったのです。その来客は、乗り捨てられていた自転車を私が、警察に届けておいたことで発見された娘さんの自転車を再び取り戻したお父さんと娘さんでした。

警察で私が届けたことを聞いて感謝して挨拶に来たのでした。誰が来たのかと言う母に自転車の持ち主が見つかっただけだからと言って住んでいた団地の玄関先で、自転車の持ち主のお父さんと世間話しをしていた時に珍しく母が出て来たのです。

既に陽が傾き夕闇が迫っていました。寒いからこれを着なさいとわざわざ私のジージャンを持って母は外に出てきました。

ちょっと話して済むことだったのに家を出て来た母、その母がお父さんと挨拶した瞬間に母は「痛い」と言って私の右肩にもたれかかって来ました。

痛いと言う言葉が母の声を聞いた最期になりました。私はとっさに母の身体を押さえ団地の玄関先に横にさせました。話しをしていたお父さんも手伝ってくれて母は怪我をすることなく地面に横になれました。

でも幾ら呼んでも反応がありません。すぐにこれは不味いと感じました。母をそのお父さんに頼み家に走って戻り救急車を呼びました。バッグに財布や鍵を突っ込んで着の身着のまま再び外に飛び出しました。

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なかなか救急車が来ない夕闇の中で、とても不安になりました。たまたま一緒にいたお父さんと娘さんを思わぬ事態に巻き込んでしまいました。

救急車を待ちながら私は一生懸命母を呼び戻そうとしました。でも母は何の反応も示さず脳に何かがあったと直感的に感じました。

徐々に呼吸が苦しそうになる母を見て、ただ事ではないと感じ始めたころ救急車のサイレンが聞こえました。自転車のお父さんが一緒に病院に行ってあげましょうか?と言ってくださいました。

でも母を救急車で運ぶくらいは私だけでも出来るので丁寧に断りお帰り願いました。

やっと救急車が来たのに道が混雑して動けない

日曜日の夕方の道路は渋滞で思うように救急車が進まないのです。更に一番近いであろう病院も受け入れられるか不明だったのです。

家から一番近くて母の命が救える病院は家から10キロほど離れた都立病院でした。もちろん通過する道すがらに幾つもの病院があります。でも救急隊の方の判断で母を救える病院は家から近い都立病院もしくは御茶ノ水まで行き大学病院へ運ぶしかないとはっきり言われました。

なんでも良いから早く病院へ連れて行ってあげて欲しいと思いました。時間だけがどんどん過ぎて行く気がしました。

家を出てから何分経ったのか?やっと一番近い都立病院に受け入れてもらえることがわかりました。でもそこで始まったのは母への心臓マッサージだったのです。

危ないから離れた場所に座ってシートベルトをするように指示され救急車の狭い車内の隅に座りました。救急車の中で母の心臓が止まったのです。病院までの距離はあと半分くらいです。

テレビで見たことがある心臓マッサージを母がされていて、でも死ぬことはないと楽観的な自分がいました。だって父が亡くなってまだ7年しか経っていないのです。

私から家族を奪わないで欲しいし母が居なくなるのは絶対にイヤと思っていました。気がつくと涙が溢れて泣いていました。

やっと病院に担ぎこまれたのに

病院でも母の意識は戻らず救急医療専門の先生にさまざまな質問をされました。母の持病や血圧などです。さらに心臓に病気はないかなど細々とした質問を投げかけられました。

でも母は少し血圧が高いくらいで病気は無かったのです。血圧は幾つか?という質問にも答えられず私はまったく役に立たない娘でした。結局全身をスキャンすることになり暫く待っていました。

すると先生が再び現れて「すぐに親戚の方を呼んでください」と言われました。なんで親戚を呼ぶの?頭の中がパニック状態になりました。今のように携帯電話やスマホはないのです。

財布からテレフォンカードを取り出し嫁いでいる姉に電話をしました。姉は急いで行くと言って電話を切りました。姉が来るまで母の兄妹に電話をすることにしましたが、電話番号がわかるものがないのです。

仕方なく母の実家を継いでいる叔父に電話しました。祖父母が住んでいた家なので母の実家の電話番号は暗記していたからです。

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間もなく姉が病院に駆けつけて来ました。そして東京近郊にいる母の兄妹はすぐに全員集まりました。

既に母はICUに入れられ人工呼吸器に繋がれていました。皆で母の枕元に立って声を掛けたり呼んでみましたが反応はありませんでした。既に夜の20時を過ぎていたと思います。

医師から今後の覚悟を言い渡された

薬によってかろうじて心臓は動いていることと人工呼吸器で息をしていることくも膜下出血をおこしたことなどです。今夜が峠で明日になれば徐々に血圧が下がりそれに伴い心拍も停止すると言うことでした。

再び薬を使えば血圧は上がるが意識が戻る可能性は低いとはっきり言われました。薬を使って延命するか?と質問されました。

父の死で長く床についても治らない病気があることを理解していましたし、本人の力で呼吸すらできない状況を考え延命を諦めました。病院のベッドに縛られて生かしておかれても母は幸せではないと私が判断しました。

その晩は病院のICUの隣の部屋に泊まりました。次の朝は早くから母のそばでモニターを見ていました。徐々に血圧が下がりはじめました。

母の手を擦ってみたり声を掛けてみましたがやはり反応はありませんでした。母の手も身体も冷たく体温が下がっていました。

母の兄妹の叔母たちが姉さん姉さんと呼びかけていましたが虚しい感じがして涙すら出ませんでした。私は、次に私のすべきことをぼんやり考えていました。

そして最期は母の心臓が止まりモニターに心拍の波がなくなりました。先生が来て母の死が宣告されました。

いつもいつも心配でした。いつか母も父と同じように私の前から消える日がくると想像しては辛く重い気持ちを背負っていたように思います。

暫くして看護師さんが一緒にお母さんをきれいにしてあげましょうと声を掛けてくださったので浴衣を売店で購入して母に着せてあげました。母は、あっという間に天国に行ってしまいました。

昨日まで一緒に生活して私の世話をしてくれた母が居なくなる。厳しい現実を受け止めなければならない辛さで胸が苦しくなりました。姉が嫁いですぐに父をガンで失って更に母も亡くなり10年もしないうちに4人家族がひとりぼっちになったのです。

母が亡くなって病院の先生から母の死因を特定するための解剖をするかと希望を聞かれました。くも膜下出血以外の病気が無かったのかを調べるというものです。

母を解剖して調べることである意味社会貢献できるとも思いますがその時の私の心境では、もうこれ以上母を傷つけることは出来ませんでした。解剖はお断りして家に帰ることにしました。

解剖したところで母が生き返る訳ではないし、なによりも早く母を家に帰らせてあげたかったのです。

悲しんでいる暇もなく、すぐに葬儀会社へ電話

父の葬式をしてくれた葬儀社に病院から電話を掛けて母を家に連れて帰る手配をしました。通常病院から葬儀社の仕事がはじまるのです。病院では霊安室に一旦安置されて数時間のうちに遺体を家に運ぶ必要があります。

霊安室では救急医療の先生と看護師さんたちが献花をしてくださいました。その時お世話になった救急医療の先生は後で知ったのですがかなり有名な先生でした。

確か濱邊祐一先生だったと思います。疲れ切った私の肩を抱いてくださいました。先生にお礼を言うとすぐに帰宅する準備と葬式の手配で忙しくなりました。

病院には特定の葬儀社が入っていて黙っているとそのまま知らない葬儀社の車で遺体を運ぶことになります。

しかし別の葬儀社で葬儀をするとパックになっている病院からの移動の料金を請求されるのです。

すかさず病院の葬儀社の車を断り、父の時にお世話になった葬儀社の社長さんにお願いして車の手配をしてもらいました。

友引を挟み仮通夜を家でしてから通夜と葬儀

家に帰り着いて母を布団に寝かせてから休む暇もなく葬儀社の社長さんと相談して祭壇や遺影の準備をしました。生前母は通りがかりの人にも立ち寄ってもらえるような葬式が良いと言っていたので希望通りに近いような葬式にしました。

二回目だからサービスしてくれた葬儀社の社長さんが面白い人でした。葬式を続けざまに二回でかなり顔なじみの状態でした。でも私の人生において最後の葬式になると思うと肩の荷がおりた気がしました。

親戚も沢山呼んで賑やかな葬式が出来ました。でもずっと寝ることも食事もろくにしていなかったのでかなり疲弊しました。今思うと若かったと思います。無事に葬式が終わり母が居なくなった狭い団地の一室が急に広く感じられました。

お骨と二人きりで私は一体どうやって今夜寝れば良いのか?怖くて怖くて泣きそうになりながらも、家にあったスーパーカップの大きなカップ麺を食べてそのまま布団を被って寝ました。

夜中に目が覚めたらどうしようとかいろいろなことが頭の中をぐるぐる回っていました。でも疲れで眠ってしまい気がつくと朝になっていました。

辛かったけれど、この20年は精一杯生きてきました。さまざまな経験や出会いがありました。親の死を通じて得たものは大きく私の人生に喝を入れてくれた思いがします。頑張らないとダメって見張られている気がするのです。

母の魂は何処へ行ったのでしょう

あのキラキラしたスターダストのようなきらめきはやはり母の死と何か関係があるのか?それとも素敵な日常を幸せが包んでいただけだったのか?今でもわからないことです。

人間は死んだらどうなるのか?でもきっと天国のような場所があり魂が肉体を離れて旅立っていくと感じています。

私は実際自分の葬式なんてしなくても良いと思うのです。してくれる人もいないわけですし、死んだら悲しむ人も片手にも余る数だと思います。

でも死ぬまで人生は延々と続きます。それだけは確かなことなのです。親の死は悲しですが母の人生をみれば、これから自分がどうすべきかが何となくわかるようになりました。

何れ必ず死ぬ日は来ます。その時、再び両親に会うことになると確信しています。でなければ悲しすぎる人生だと思うのです。人生で頑張って来たことや更にこれから掴む幸せや希望を叶えることで胸を張って、また父と母に会いたいと思います。

どうかあなたも辛い時や悲しい時は一先ず布団を被って寝て身体と心を休めてください。辛く苦しい気持ちと疲れた身体を癒やすには眠ることが一番の薬になりますよ。

家族の数だけ悲しい別れや幸せな喜びがあります。幸せと悲しみは表裏一体なのです。今のこの瞬間を大切に生きることが悲しみに打ち勝つ方法だと考えます。生命のきらめきや輝きを見逃さないようにしっかり目を見開いて生きていきましょう。

布団を被っても格好悪くても泣いても良いと思います。元気を取り戻し懸命に元気に生きてくださいね。

今回も長文をお読みいただきましてありがとうございます。♡香


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