困ったことが重なる時を乗切りる2つのポイント・因果とは?

自分だけ運が悪いと思ってない?

因と果を理解すれば解決の道がひらける


困ったことが重なる時や嫌なことが重なるといった状況は意外に多いものです。せっかく旨く行っていたことも度重なるトラブルで旨く行かなくなる。

通常、人生の中は日常的に困ったことの繰り返しなのです。困ったことを如何に考えるかで思った以上に気持ちが軽くなることもありますし、逆に抜け出せない迷路を彷徨うような状況にも陥ることもあります。

 

 

生きていれば誰でも困難にぶち当たることは容易に想像がつくものです。間違ってはいけないのは自分だけが困難や困ったこと嫌なことに遭遇していると悲観的に考えてしまうことです。苦しいのはあなただけではありません。

いまお金がピンチなのに急に大金が必要になったなど生きていればお金の問題は付いて周ります。中にはお金の心配もなく仕事の苦労もなく生きて行ける方もいることでしょう。しかし、自らの力量で働き日々の暮らしを頑張る人の方が大多数なのです。

もし、あなたが頑張って働いていても苦しいと感じて人を羨む気持ちが強いのであれば、一旦想像してみてください。あなたの人生と裕福に見える方との人生の幸福度はどの程度違うのでしょう?仮にあなたが他の誰かと立場が入れ替われるとしても他人の人生を生きたいと思うでしょうか?

人生の先の未来は誰にも見えません。また他人の人生の苦労など見えるわけもありません。隣の芝生は青く見えるということです。

今現在、不幸ではないにしろ困ることが多い

不幸ではないが困りごとが多い場合もありますよね。ひとつの困難なら頑張って乗り切れることも一気に2つ3つと困難なことが降りかかれば人生を恨めしく感じてしまうこともあるでしょう。

 

 

長い人生の中で運の悪い時期は誰にもあります。まったくない人も中にはいるかも知れません。でも普通の人は困難と向き合い抗いながら生きているのです。

私も困ることが重なると本当に先が見えなくなり憂鬱になります。知能を持った人間とはそういった困難の中を生きる動物なのです。

人間は野生動物のように他者の餌食になる心配はほとんどありません。でも社会の中で生きる人間には、肉体は食われなくても人格を蝕まれることは多分にあります。また経済的な問題は避けようもなく襲ってきますよね。

困りごとや困難をどう受け止めたら私たちは幸せに豊かな気持ちで暮らせるのでしょう?私もいつも困ることが多いですよ。つい最近も冷蔵庫が壊れました。ちょうど暑くなり始めでしたので急いで新しい冷蔵庫を購入しました。

痛い出費ではありますがその後、歴史的な猛暑が訪れて新しい冷蔵庫のお陰で沢山氷が作れて助かりました。仕方ない部分と困る部分が複雑ですが、何とか乗り越えています。

泣きっ面にハチ?重なる困難に勝ちたい

困った問題はどうやって乗り越えたら良いのでしょうか?困った内容にもよりますが先ずは自分の力で乗り切る知恵を身につけるクセをつけましょう。

困ったときや困難な問題を抱えて安易に人を頼っているとなかなか自分で解決していく力量をつけることが出来ません。問題が起きたときこそ懸命に考え脱出する方法を導きだすクセをつけるのです。

困難にもさまざまなことがあるでしょう。またその時の状況で自分で解決できない場合もあるでしょう。だから困っているのかも知れませんよね。

 

 

困難が度重なり辛いときには誰かに話して聞いてもらうことも必要です。話して楽になることも多いのです。それが実際に解決に至らなくても解決の緒となることもあるからです。

なぜ困った問題が起きるのか?因と果

仏教の教えの中に「因と果」という考え方があります。因果応報などという言葉はよく使われますよね。簡単に書くと良い行いには良い結果があり、悪い行いには悪い結果があるとなります。

でも、悪い行いをしているわけではないのに困ったことが起こるのは何故でしょう。辛すぎますよね~ちゃんとやっているのになんで?って思います。

ここで因果の話しを出したのは、日々の暮らしの中に何かしら問題を起こす原因があり解決出来ていないからではないか?と推察するからです。

「いやいや私は努力しているよ!」って思うかも知れませんが、努力しても尚、困るのはもう少し考えを広げてみるよい機会であると言うことです。

辛いとどうしても視野が狭くなり悩みに飲み込まれてしまいがちです。困って悩んでいるご自身を見つめ直し何が悪いのか再度「因」を考えて行いを振り返ることや軌道修正をすることをしてみることも大切です。

人生の道は一本ではない・新しい「因」を見出す

困り果てて悩んでいるなら違う道を選択するという方法もあります。アイデアに煮詰まってしまうとき人は気分転換をしますよね。長い人生には必ず気分転換が必要なのです。

一生懸命になりがちな方ほど少し気を緩める時間をつくりご自身の心を休め心を癒やす時間をつくるのです。

でも、今困っていて非常に辛いと感じているならすぐに何とかしたいですよね。よく考えてみましょう。果たしてその道は一本だけなのでしょうか?他の選択肢はないものでしょうか?もしかしたらほんの少し勇気を出せば解決出来る道があるかも知れません。

 

 

辛い時立ち止まり休み考え、さらに良いアイデアを生み出せば、新しい「因」が生まれて来るはずです。

因と果の関係は長い人生の中にもある

生まれて来たことが「因」なら、困り悩むことが「果」になります。更に言えば生まれて来たことが「因」なら、死んで行くことは「果」となります。

困難に出会うことは辛いですが、辛いことも人生のスパイスと考え乗り越えるのです。苦しいときを超えることが出来ると、きっと新しい世界が見えてくるはずです。ここにも因果関係が成り立ちますよね。

困難もやり切ったときの開放感を味わえば辛かった道のりは喜びに変わるものです。因と果は長いものもあれば短いものもあります。

人生は大きなスパンの因果と短いスパンの因果などさまざまな因果で構成されていると私は考えます。

今、困り果てて辛いのは「果」ではなく「因」かも知れません。今の「因」を大切によく考えて行えば必ず良い「果」が付いてくると考えるのはいかがでしょう。

人生の因果は因も果も入れ替えることが出来る

若いうちは人生は長く多くの時間が有り余っているように感じるものです。次第に加速度を増して時間が流れ始めることすら気が付かない。でも誰にも時間の速度の変化を感じるときは必ず訪れます。

一瞬一瞬を大切に生きることが出来れば後悔のない人生となるはずでしょう。今の目の前の問題を前向きに捉え解決することを考え悩むことで新しい「因」が生まれます。

困難を「果」とするのか新しい「因」とするのかはあなたの気持ちの持ちようによって変化すると言うことです。

困っても答えを導き出すことを忘れない

新しい道を導き出すのは容易ではないことは承知の上で書かせていただけば、あまりに無理だと思うのであれば、敢えて道を選ばないことも、ひとつの道の選択になります。

要は、もう手を引くのです。困難な問題から逃げ出すことを選択するのです。しかしこの選択には後悔というおまけが付いてきます。

既に幾つかの「後悔」を抱えているかも知れませんが、後悔を背負う覚悟があるなら手を引いて逃げるのも良い方法です。

また、先が見えなくても運命に抗うことなく運命を受け入れる方法もあります。「何とかなるさ」と楽観視するのです。幾ら悩んで考えても到底無理なこともありますよね。

 

 

運命を受け入れて成り行きを見るのです。その結果がどのようになるのかは時間の経過を見るしかありませんが受け入れることで心は少し救われます。

因果の考えや意味は時代によって変化している

大昔、インドの仏教思想の中から因果応報の考えが生まれてきました。それは、輪廻を超えてつながる因果で時空を越えていると考えるとわかりやすです。要は、生まれ変わっても過去の「因」によって「果」が現在にも影響を現すと言うことです。

しかし現在の考え方では、輪廻は関係なく「因と果」が現状の中であるという意味になります。よくよく考えれば輪廻=生まれ変わりは仏教の考え方で人が死んでもまた生まれてくることになるのですが、生まれる前の責任まで取れませんよね。考えても仕方ない感じすらします。

実際、もしかしたら人間は何度も生まれかわているのかも知れません。でもそれは、今の自分とは関係のない部分だと思います。

今ある困難や悩みは今の出来事で必ず解決していく問題なのです。解決するためには時間やお金、知恵など実質的な犠牲が発生することでしょう。でも必ずと言っていいほど解決して行くものだと私は考えます。

よく「親の因果が子に祟る」と言うセリフがありますが、親の責任まで押し付けられては敵いませんよね。時代劇みたいな考え方です。今ある困難や悩みは現在進行形なのです。だから辛いのです。

例えば恋愛を「因と果」で考えてみる

先に書かせていただくと私は、恋愛問題は得意ではありません。でも恋愛を「因と果」で考えると非常にわかりやすいです。

愛するひととの出会いは「因」とします。愛し会うことは「果」です。でも長いスパンで考えると「果」は死に別れて行くときか互いを忘れるときでしょう。「因」を出会いとして「果」を結婚とするならハッピーエンドとなりますが、実際の人生はそんなに甘いものではありませんよね。

因みに結婚どころではなく好きになってくれる相手もいない?なんて僻んでいませんか?愛する人がいないのが「因」で愛し合えないのが「果」になります。

解決策は、今一度自分自身を見つめ直し軌道修正することです。もしくは成り行きに任せて自然体で生きることとなります。

どのような場合でも因果関係の答えはなかなか出ません。早急に果を求めて彷徨うよりも新しい因=縁をつくり出すことが早道だと考えます。

因縁を新たにつくれば、素晴らしい果が実る

新しく「縁」と言う言葉が出ましたが、因には縁という言葉がつきものなのです。「因」は結果を生むための内的な原因を指します。また「縁」は原因を生むための外的な助けを意味します。

この因縁が結果である「果」を生み出すのです。ちょっとややこしい感じがしますが、人生の「果」を短絡的に考えるのではなくもっと長い目で因果関係を考えることが良い「果」を得るコツと言えるのです。

困難に出会い辛いと悩む時点で解決の扉に手を掛けているのと同じくらい大切な部分に既に辿りついています。あなたは素晴らしい人と言えるのです。

人生に問題意識を持って生きている人は本当に少ないのが現実です。何かが変だとか、なんだか嫌と言った霞の掛かった道を歩く人がほとんどなのです。

でもあなたは、困難や悩みを抱え対峙することを自然と理解し会得しているのです。自身の人生に対して何も気が付かない人や困難すら気にならない人、自身の立場を明確に理解出来ない人などなど気づきがない人は実際多く存在します。

自身の困難を受け止めしっかりと考えることが出来るあなたには、素晴らしい未来が待っていると私は考えています。そして応援出来る人だと感じます。

今ある困難から抜け出すためには、今を見つめ直し軌道修正することや、更に新たな因縁をつくることが大切なのです。

人は知らずしらずのうちに自分自身の人生の道を選択しながら生きています。それは仕事や恋愛だけでなく困難を切り抜けることやお金に対する考え方などです。

今、困難な道を選んだとしても、自分自身の選択であり他の誰の責任でもないのも確かなことです。より良い結果が欲しいと望むのであれば現在の自身のあり方を見つめ直し新たな因縁によって理想とする「果」を得て欲しいと思います。

更に言えば世の中の状況は刻々と変化しています。まるで川の中の魚を手で捕まえるかのような状況です。魚を掴み困難から脱出しようと考えるなら落ち着いて魚の動きを観察することが大切です。今の状況が非常に辛くても、しっかり魚の動きを見極めなければ魚は逃げて行くでしょう。

しかし魚を逃したとしても明日は掴むことが出来るかもしれません。魚の方からあなたの手に入ってくる可能性もあります。川が干上がることもあるかもしれません。

変化する事態を短絡的に見るのではなくしっかり出来る限りじっくりと見極めることで解決出来る可能性を見出しましょう。

今回も長文をお読みいただきましてありがとうございます。♡香


 

 

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