
突然肩が痛い。可動範囲が狭くなる。
原因不明の肩の痛みは年で区別?四十肩と五十肩。
肩が痛い肩や首が凝るなど普通に皆さん経験している症状ですよね。でも、40代になると四十肩とか言われてイヤですよね〜。歳を病名にしないで欲しいです。
主に原因が不明で肩が痛い場合に年齢別に病名がつくのです。40代なら四十肩で50代なら五十肩そのまんまですよね。それに40と50では、かなりの開きがあります。なんだか老けて感じます。そう思いませんか?
40代になり肩が痛いと言うと冷やかしで四十肩?とか言われたりしてイヤです。40代なのにうっかり五十肩って言われると腹立たしい気分になります。結構微妙な年代なのです。
あなたは、肩が凄く痛くなった経験はありませんか?一般的にこの四十肩は、始めは鈍い痛みです。
そして可動範囲が制限されてきます。可動範囲が制限されるとは腕が上まであがらなくなる。後ろに腕がまわらなくなるなどです。
一定の範囲を超えた動きに対して激痛が走るのです。声をあげてしまうほどく痛く一定の範囲しか腕が動かなくなります。したがって無難な姿勢しかとれなくなります。
症状は、当然人それぞれに違います。例えば、ちょっと上の物を取ろうとして肩に激痛が走るのです。肩がパキっと何かに引っかかるような感じです。一瞬ですが後を引く痛さが特徴です。
私も、40代の半ばくらいに肩がいきなり痛くなりました。皆に四十肩とか五十肩って散々言われました。四十肩と言い直してみたりしました。だって、まだ40代なのに失礼ですよね。なかなか痛みが取れないのも特長なのです。
もともと凄く肩が凝り、背中も腰も痛い
ずっと座ってパソコン作業をしていました。とても、忙しいだけではなく〆切やら間違いやらストレスがいっぱいありました。そんな職場で肩も腰も痛くなります。
それどころか、トイレに行く暇もない場合もあり年中膀胱炎になるような満身創痍状態でした。なので、年中接骨院に通ってマッサージしてもらっていました。
でも、肩が痛み始めた時「これは違うぞ」と何となく嫌な気がして、いつもの接骨院ではなく整形外科に行くことにしました。腕が抜けそうに痛くなったのです。趣味の畑仕事でもスコップの重さで肩が抜けそうになってビックリしました。
レントゲン設備のある整形外科を受診
そこはスポーツ系の疾患を診ているクリニックなので良いかと思いました。スポーツ関係のクリニックを選んだのには訳があります。私は、中学生の頃に器械体操をしていました。
また、社会人になって21歳からはエアロビクスをはじめました。25歳からエアロビクスのインストラクターになりずっと運動を続けていました。
約11年間フリーのエアロビクスインストラクターを経験しました。エアロビクスの養成コースでは、運動生理学や栄養学、人の体のことを学んだ経験があります。もちろん指導の実技も学びました。
何となくそっち関係?かもしれないと思ったのです。何故かと言うと、中学、高校とマラソン大会のたびに肩が痛く走っていると左肩が抜けそうに痛くなるのです。足が痛いとか疲れたとかならわかりますが肩が痛くなるのです。
長距離を走ると痛い左肩
エアロビクスをしている時は、痛みは感じませんでした。でも、ランニングマシーンで走ると後半に肩が痛く重く抜けそうになります。思わず右手で肩をおさえて走りました。
一回のランニングは、約10キロ〜15キロくらい走るのが習慣になっていました。いつも腕が抜けそうに痛くて腕を抱えて走っていた記憶が蘇りました。その痛みに何となく似ていました。
この肩のヌケ感はいったいなに?整形外科の先生に診て頂くと直ぐにレントゲンを撮ることになりました。そこに用意されていたのは、なんと重り?重りが入っている道具箱が用意されていました。
持ち手があり「持って!」って、レントゲン技師のおじさんにいきなり重りを持たされてそのままレントゲン撮影一枚目。次は、何も待たないで撮影しました。合計で二枚のレントゲン写真が出来上がりました。
レントゲンを指差し見比べながら先生は肩が緩いから痛いとお話しを始めました。これはルーズショルダーだなぁ〜って。肩が緩い「ルーズショルダー」と言う診断でした。
四十肩ではなかったって内心ホッとしました。なんでホッとするのか意味不明ですが女心です。2枚のレントゲンは重りを持った方は、肩の関節が緩んで抜けそうになっていました。丸い骨頭部分が、関節から抜けそうになっていたのです。
そして、何も持たずに、撮影したレントゲンは何ともない。要は、肩の関節のまわりの筋肉バランスが崩れて抜け易い肩がいよいよ抜け始めたと言うことです。
老化現象に間違いはないと思います。先生曰く器械体操をしていた人に多いそうです。また、野球のピッチャーも同じく多い様です。
体が柔らかく小さい子供の頃から関節の可動域が広い。そして柔軟体操を毎日繰り返す。私のして来た運動は、非常に柔軟性が要求されるスポーツばかりでした。
器械体操も腕を振り回しますし、エアロビクスも腕を振り回します。その結果、四十肩?ではなくルーズショルダーを引き起こしました。
私の左肩は、筋肉が緩く抜けやすかった!
治療としては、弱くなっている筋肉を強化する運動や筋肉をストレッチする運動などでした。家でも専用のゴムを使って筋肉を鍛えることもしました。
年齢的に肩の筋肉のバランスが悪くなって痛みが出たと言うことなのでしょうか?
この時にバランスボールも買いました。体幹を鍛えようと思ったのです。良い物を買ったと先生に褒められました。
今でも部屋に転がっています。運動療法を続けて一進一退を繰り返しつつ良くなり始めました。
でも、ある日の朝。電話が掛かってきて
寝ていたら家の電話が鳴りました。二階で寝ていたのでベッドから起き上がった瞬間凄い激痛で声が出ないくらい痛いのです。
一瞬、電話の子機を持ったまま声が出ない状況が数秒続きました。電話のお相手はただのセールスでした。
起き上がった瞬間に肩が抜けたのです。亜脱臼の状態です。寝ていたので体の力が抜けていました。
いきなり慌てて起きようとして腕がベッドの上に置きざりになって体だけが起き上がってしまいました。肩と腕はリアルに分離された感じがしました。
肩と腕だけベッドの上に置き忘れ?
一瞬、腕が体から離れて腕はベッドに置きっぱなし状態でしす。本当に一瞬ですが体から腕が離れて落ちた感じがしました。でも、また直ぐに関節に戻ったのです。
骨頭が出たリ入ったりしていたと思っています。当時、肩が抜けたのは2~3回くらいありました。始めに書いたスコップを持つ時は、今でも肩が抜けそうになるので要注意です。
20代の頃に行っていた整体の先生に肩の着き方おかしいと言われたことを思い出しました。脱臼したことあるだろう?って言われたことがあったのです。
母に聞いたらやはり父親とふざけていて肩が痛くなったことがあったらしいのです。まだ、幼稚園にも行っていない頃の話しだということです。
今にして思えば、本当に子供頃に脱臼していたのかも知れないですね。小さい子に多いと聞いた事があります。関節が出来上がってないので抜けやすいのです。
なので、幼児の腕を強く引っ張ることは避けなければ行けないと習った気がします。高校の授業だった?家庭科の育児の授業です。歳がバレますね。
一年以上、リハビリを続けました
ゴムのチューブで運動したりリハビリの先生がストレッチしてくれたり頑張りました。時間と共に良くなる感じでした。でも、次には右肩も痛くなりました。ただ、右肩は大したことは、ありませんでした。
でも、左肩が良くなったり悪くなったり。痛みが取れず最終的に鍼治療を受けました。保険が利かず実費でした。ちょっと高かったのですが、それまで鍼治療を何度も受けて来た中で一番上手でした。一番若くて一番上手な先生でした。
これまで治療をして頂いた鍼灸の先生の治療の中で最高です。必ずツボに効くのです。
絶対外さない百発百中って言われても鍼治療を受けたことがないと分らないかも知れませんね。体にはツボがあり神経のツボに鍼がガツんと届くのです。
例えば、背中が痒いとします。マッサージの場合は服の上から掻く感じです。しかし鍼は痒い所に手が届くのです。
直接掻いている感じがするのです。ましてや百発百中はスゴすぎる。
普通は、10本討って4本効けば良いかなって感じです。でも、5本しか打たないのに5本バッチリなのです。
こんなに凄い先生が、なんで整形外科のリハビリに居るの?そんな感じでした。
ルーズショルダーの治療は、一年半で終了
私の四十肩はすっかり良くなりました。よかったなぁ~と思って2週間が経過しました。そしてその後、私は地獄に堕ちることのなるのです。なんと左肩から腕にかけて死ぬほど痛くなりました。
眠っている時以外は息をするだけで痛い。既に整形外科での治療は終了していました。しかし鍼の先生に電話をして再度鍼治療を受けました。整形外科なのでお薬をもらえてロキソニンを一日三回頂いて飲みました。結構な量です。しかし、ロキソニンは殆ど効果なし効かないのです。なんで〜?
泣きそうな真っ青な顔で受付で「もっとちゃんと効く薬をください」って言っちゃいました。でも、診察して先生からMRIを大きな病院で撮る必要があると言われました。痛くて、痛くて、何もできない。
ルーズショルダーではないの~?
そう、このあと凄くつらい日々が延々と続くのです。それを書くにはちょっとお話しが長過ぎます。いよいよ怒濤の日々が始まったのです「私何か悪いことでもしましたか〜?」って、叫びたくなるような出来事です。
四十肩、五十肩編は、このあたりで終了しましょう。一旦、区切ることにします。このあと、私が辿った道のりは、非常に長く険しいものです。痛いのなんのって、人生は、山あり谷ありだと言うことなのか。しかし、神様は私に厳し過ぎやしないかい?って思いたくなる。
でも、ほれ、ここにこうして生きています。神は、乗越えられない試練は与えない。と言うことでしょう。私の住む東京の外れの町から舞台は一気にお茶の水の大学病院へと移り変わります。
生きるって闘い!そう思う体験が待っている。四十肩もそりゃ~痛いです。そして、ルーズショルダーも痛いです。どちらも年齢から来るものだと思います。だんだん弱くなり弱点が露呈するものなのです。
これでもかって言うほどにです。私は、病院がなかった時代ならとっくに死んでいる?それより生まれていなかった。だから試練も多いのか?普通であれば淘汰されているはずの人間なのです。
人生は、因果なものです。そうやって生まれてきた。だから壊れやすいのか?
でも、それでも生きていられるのだから凄いですよね。あなたも肩が痛い腕がまわらなとか言ってトクホンを貼っていないでバカにできない四十肩?五十肩?どちらでも良いのです。でも病名はつけてもらわないとダメですよ。
それは、この話しの続きをお読みになればわかると思います。それは、このお話しとは別の機会に書かせて頂きます。
今回も、長文をお読みいただきましてありがとうございます。
あなたの肩も早めに病院へ行ってくださいね。おだいじに。♡香
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